別居婚したり4回流産したりしつつも2人目が欲しいと思っているアラサーのブログ

別居婚したり流産したり(不育症)した中で、もがきつつ働いてる人の呟き

2回(以上)流産した方へ

これから書くのは、あくまで医療に関し素人の私の個人的な経験です。

ですが、私は2回目の流産をしたとき、個人的な経験を知りたすぎて検索魔になったので(検索ワード「流産 2回」「流産 原因」「不育症 ブログ」などなど)、同じような経験をされている方のために、書こうと思います。


・心身を休めてください

流産が2回続くとかなり心にきます。ごまかして自分の悲嘆の気持ちに蓋をすると、あとあと余計にしんどくなることもあります(私の場合、最終的に休職しましたし、その後数年間心療内科に通院しています)。苦しみに蓋をせず、自分のことを労ってください。


・なるべく検査をしましょう(医師が乗り気でなくても←ここが重要)

まず、胎児の絨毛染色体検査。これに異常があれば、流産の原因が胎児由来である可能性があるものと推測できます。

異常がなければ、流産の原因が胎児由来ではない可能性(≒母体由来、夫婦どちらかの染色体異常、原因不明等)があるものと推測できます。

次に不育症検査。CLにより検査項目は様々なようですが、なるべく口コミの評価が高いところが良いかと思います(激混みですが)。

それと、追加で夫婦の染色体検査も場合によっては検討されると良いかと。染色体に異常(転座等)があると、別途高度な治療を検討する必要も出てくるので。センシティブな検査なので、夫婦のスタンスによると思いますが、私たちは受けました。


・自分を絶対に責めないでください

仮に流産の原因が母体由来だったとしても、現在の日本の産科婦人科医療では、ブライダルチェックや初回の流産では、不育症検査はさせてくれません。したがって、2度目の流産を防ごうとしても、何の対策もしようがないのです。医師によっては、2回流産が続いても不育症検査を勧めません。


また、検査をしたとしても、原因不明のケースが相当数あります。この場合も「健康に気をつける」以外何の対策もしようがないのです。


このような現状の中、素人が流産を防ぐことは無理です。そもそも不育症分野は原因不明なことが多く、研究が進んでいません。

私は当時自分を責めて責めて責め倒してましたが、自分を傷つけてもいいことはありませんでした。

2人目不育問題と厚労省のパブコメ

久々に更新します。


Twitterでは、不妊不育界隈(界隈ってのはアレですが)のインフルエンサーの方々がネット記事やnoteに色々綴って下さって、とても共感しています。

こういう声でいつか社会が動くことを願ってます。


私も微力すぎますが、できることをしようと思い、厚労省パブコメに意見投稿しました。

育児中の身ではありますが、不妊不育治療の箇所について、思いの丈を(なるべく冷静に対案を示す形で)書いて、送りました。


・流産、不妊、不育症に対する啓発活動を

・流産、不妊、不育症に対する職場の理解を

不妊不育治療に対する医療格差、地域格差をなくしてほしい

・流産した女性に対する精神的サポート体制を


思うところは色々ありますが、まずはこんなところでしょうか。


流産に関しては、UMUというウェブメディアで近日当事者の声をまとめた記事が出るようなので、心待ちにしています(私も少しアンケートに回答させていただきました)。


そして、最近流産しました。


(2年半ぶり4回目)


育休からの復職と、2人目妊活問題と、不育症と色々悩んでおり、とりあえず復職前に不育症の検査を再度しようと思い、相談のため、再度不妊不育CLに通院し始めました。


(2人目妊活不育症キャリアの方、私の主治医によれば、血液検査等は出産後、再度やった方がいいようです。体質やら数値やら変わってるかも知れないし、数年前と今とでは検査項目が増えていることもあるそうなので。)


ですが、コロナの流行にともない、受診を躊躇し、検査できずにいました。

そうした矢先に発覚した妊娠(周期ガタガタだったので、完全に想定外)。

バファリンは?ヘパリン処方してもらう?と不安と期待が入り混じる中、コロナに恐れつつ(特別警戒区域在住なので)受診したところ、胎嚢が確認できませんでした。


その後、数回通い、胎嚢らしきものが見えたものの、一応化学流産という診断となりました。


4回目とはいえ、辛いです。


子どもがいても辛いです。


でも1人目妊活組からしたら、贅沢な悩みなのかも知れないと思い、大っぴらに辛いとは言いづらいです(でも辛いのでここで言います)


コロナの影響で病院内のキッズルームも縮小、でも、子連れで不妊不育CLに行きづらく、子どもを長時間何回も家族に託すのも心苦しかったです(もちろん事情あって子連れ通院の方もいますし、それを否定はしません)。

ちなみに実親には秘密にしています。


今回は自然排出となり、掻爬手術がなかっただけましか…ってマシって何だ。

辛いものは辛いんだ。

辛さを我慢することはあとあと心身に良くないので、辛さを受け止めようと思いました。


そして、自分が不育症であることをはっきりと再認識しました。


結構気軽に2人目考えてるかと周囲から聞かれますし、その手の質問には慣れてしまいましたが、私にとっては2人目は、また色々なハードルの先にあるのだなと思います。


(そして、夫は全てを知っているのに一人っ子じゃかわいそうだと言ってきます。そしてきょうだいが欲しかった一人っ子の私は夫に反論できません笑)


コロナ、育休からの復職、育児、妊活、不育症の通院生活、色んなものを抱えつつ、私はどうなるんでしょうか。


備忘を兼ねて、ブログに残すことにしました。

不育症治療のすえ4度目妊娠で出産した私が不育症について最近感じたこと

久々の更新です。


ここ最近、国会で不妊・不育の勉強会が行われたり、

東京都で不育症治療の助成制度がスタートしたり、

不育症当事者の方がネットメディアなどで経験を話されたり、

不育症界隈(?)の動きをとても感じます。


私が2度目の流産をして打ちひしがれていた頃は、どれだけググっても情報が足りなくて不安だったけれど(当時はアメブロで不育症の記録をされていた方、ヘパリン注射をインスタにあげていた方々に救われました)、今も正確な情報が少ないことに変わりはないけど、それでも前よりは、少しずつ事態が良い方向に進んでいるような気がします。


また、先日より、流産・死産経験者のケアに関するクラウドファンディングが行われていますが、その反響をみて、この問題に関心がある層や当事者って意外と多いのでは?と感じました。


https://camp-fire.jp/projects/view/213276?list=watched


そして、子育てに邁進し、不育の時期の記憶とは少しずつ距離を置くようにしていた私ですが、今でも、この問題は他人事ではなく、自分事だと痛感しています。


不育症発覚などをきっかけに崩したメンタルは大分持ち直しているのでしょうが、今も心療内科には通い続けています。


二人目が欲しいとなったとき、また流産との恐怖との戦いが始まります。

今は、周りの「二人目考えている?」トークにどう答えるのが正解か、悩みつつ答えています(いわゆる二人目不妊の方も同じような気持ちになるのでしょうか。また検査からするのか?服薬するのか?など漠然と悩んでます)。


先の話ではありますが、子どもにこの体質が遺伝していないかという不安があります(なお、偶然かもしれないですが、母も複数回流産してるらしいのです…母はあまり話したがらないのですが。)。


何よりも、4回目の妊娠で何とか出産までこぎつけましたが、当時の辛い記憶や味わったいやな経験に蓋をして、ないことには出来ないと感じています。


今思えば、当時、私は私個人を責めていました。私が問題なのだと、個人の問題にしていました。

確かに、不育症体質であったことは、私個人の問題です。


しかし、不育症という体質があることを調べて見つけ出すこと、不育症の検査をするための病院を見つけること、見つけた専門病院に休みをとって数時間かけて通院すること、検査・治療・仕事との両立などですり減るメンタルを自分でケアする(ためにメンクリさがして、予約して、数時間かけて通院してイチからこれまでのこと話して服薬する)こと。


これらは、もし、不育症検査があるよと教えてくれる街の産婦人科医がいたり、どの病院でも検査できるなど不育症チェックへの敷居が低かったり、社会や職場の理解があれば、もっと負担が少なくて済んだと思うんです。

少なくとも、メンクリに行かなくて済んだかも知れないし、転職活動や休職をせずに済んだかも知れない。


不育症なのが世界で私だけで、不育症にもかかわらず仕事もしつつ子どもがほしいと思ってるのが世界で私だけなら、個人の問題で片付けていいのかも知れませんが、こんにちの不育界隈の盛り上がりを見ると、どうも私だけの問題ではない…。


と思うと、経験に蓋をせず、経験を少しでも生かせたらと思わずにはいられないのです。


復職前にそんなことを考えています。


さらに余談ですが、


https://career-to-ha.hatenablog.com/entry/2018/06/13/185255


当時の記事を読み返しましたが、個人的には、不育症治療と仕事は両立できたらいいなと思っています。


治療or仕事ではなく、なるべく治療も仕事もしやすいように、社会・職場の理解が進めばいいのになぁと感じています。

産婦人科に転院するまでの治療経過

2017年5月から2018年の5月頃まで、不育症の治療のためクリニックに通っていました。

不育症治療に力を入れているクリニックが少なく、治療のハードルが高いのが不育症の辛さの一つ。

仕事をしつつ、どうやって通院していたか、当時のことをつらつらと書きます。


①病院選び

私は不妊治療で非常に有名な関西の病院に通院していました。

その病院にした理由は、夫が住む家から通院可能なことと、ネットの口コミが良かったこと、知り合いの知り合いがそこで不育症治療をして出産をしたためでした。


ちなみに、通院当時、夫は関西在住でしたが、私は関西から新幹線移動が必要な他県に単身赴任していました。


②通院頻度

私は、当時、週5フルタイム残業バリバリ、たまに土日出勤あり、比較的激務とされる仕事をしていました。


新婚だったので、少しでも夫と同居したいと思い、金夜新幹線で帰省・月朝フレックス出勤で週末関西にいました。

なので、通院は週末に行くことが多かったと思います。


なお、流産等のストレスからくるうつ状態により一時休職していたので、その時期は平日に通院していました。


通院した回数というか経過としては、

初診・血液検査・触診→約2w後に検査結果聞く・治療方針決定・薬の処方(バファリン数ヶ月分)

→薬が切れると受診→妊娠発覚・ヘパリン投薬→1wごとに受診→

9w位で流産→掻爬手術→手術後の子宮チェック・胎児の染色体検査→検査結果聞く・夫婦の染色体検査の相談→染色体検査→検査結果聞く・バファリン投薬

→妊娠発覚・ヘパリン投薬→11w頃まで1wごとに受診→紹介状もらい、出産に向け産婦人科へ転院(つまりは不育クリニック卒業!)


という感じでした(これで1年)。


③仕事との両立

正直、治療していた時期はあまり仕事に精を出せていなかった時期もあったと思います。

とにかく週末に関西に帰り、2時間ほど待合室で待機してバファリンをもらう。仕事は平日に終わらせる。そんな感じだったと思います。


関西勤務になってからもヘパリン注射をしていた時期もあり、この時期は残業もまあまあしていましたが、いい意味で上司を巻き込んで、無理をしないようにしていました。


病院はとにかく混んでいましたが、雑誌や本を読んだり、前後で街をブラブラしたりして、のんびりする時間だと割り切っていました(それでも順番待ちの画面とにらめっこしてイライラしていたことも多々…)。


不育症の私が4回目の妊娠をした時のこと(友人への妊娠報告編)

実は妊娠したんだー!


え、おめでとう!!予定日いつ?


◯月なの!


そうなんだー!おめでとうー!性別は…(以下略)


不育症ゆえに、こういうありきたりで、かつ、幸せな妊娠報告に憧れます。

産まれるまで、こういう幸せ100%な会話をすることができない。

表面上は、普通に装っていても、内心、「まぁもしかしたら、流産してしまうかもしれないけど…」という不安を抱えていました。

産まれた我が子をその目で確かめるまで、生きた我が子に会えないのではという不安と隣り合わせでした。


ただ、そういう不安を抱えること自体が、メンタルにとって良くない気もしていたので、4回目の妊娠後は、安定期前から友人に妊娠報告をしていました。


3回目の流産後、私は何人かの友人に、自分のこれまでの流産のことをざくっと伝えていました。


そこそこショッキングな話ですが、隠せるメンタリティもなかったというか、信頼している友人には打ち明けたかったという気持ちが強かったのです。


そういう経緯もあり、4回目の妊娠後は、「実は妊娠した。産まれるか分からんけど。」という反応に困るような妊娠報告をしました。


友達は皆、喜んでくれましたし、その後も気遣ってくれました。

今となっては、報告したことは、自分にとっては良かったなぁと思います。


不育症は辛いことだし、そもそも妊娠はセンシティブな話題だし(それでなくともアラサー女子は未婚既婚子あり子なしなどを巡りセンシティブなお年頃なのに)、妊娠報告をするかどうか、すべきかどうかは人によるものだと思いますが、私の場合は、抱えきれない不安を緩和するという意味で、友人に報告したのは良かったと思います。

不育症の私が4回目の妊娠をしたときのこと(仕事編)

久しぶりに更新します。

今は、子どもの寝かしつけ中で、片手だけ空いてたので、その手で記事を書いています。


不育症の人は、妊活と仕事の両立も大変ですが、妊娠したらしたで大変です。

いつ、流産するかわからない恐怖と戦いながら、日常生活を送らないといけない上に、治療が必要なため、妊娠=喜ばしいこととはならないので、周囲にどのタイミングで、どのように妊娠を明かすべきかという問題にも直面します。


これは、あくまでも私の場合ですが、私が不育症と発覚してから、仕事面において、どういうことをしたか綴ります。


※これが良かったのかは分かりません。私の場合は、4回目の妊娠後に以下のことをして出産までこぎつけましたが、それが正解かは分かりませんし、どうするのが良いのかというのは、ケースバイケースだと思っています。


①すぐに(信頼できる)上司に報告

1、2回目の妊娠の時は、安定期になれば言おうと思ったものの結局流産→手術のため急に仕事に穴を開ける

→メンタル病む一因となる

という感じでしたので、3回目以降は、妊娠が発覚したらすぐに上司に妊娠を報告しました。

(3回目は報告後、流産しました。)

流れても、流れなくても、職場に迷惑をかけうることは明白だからです。それなら、安定期まで待つ必要はないと思いました。


ただ、めちゃくちゃセンシティブなことですし、私がこのような方策をとれたのは、従前からその上司との間に信頼関係を築こうとしていたからだと思います。

(また、上司に恵まれていたことも確かです。)


ちなみに、従前からどのように信頼関係を築こうとしていたのか。

大体、上司とは、3、4回目の妊娠前こんな話をしていました。

・私は不育症という病気であり、妊娠しても流産する可能性が人より高いこと

・流産を防ぐために、薬を服用したり、妊娠発覚後は、自己注射をしたりする必要があること

・妊娠希望であること

・仕事は続けたいが通院等で仕事に影響が出かねないこと

・流産経験等からメンタルが病んでいて、心療内科にも通院しているが、仕事はメンタル病んだ要因ではないこと(正確にいえば仕事由来の別居婚も病んだ一因ではありましたが…)


このような話をしていたので、妊娠発覚後は、仕事への配慮についてかなり具体的な話ができました。

ちなみに、仕事はそれなりにがんばりたかったので、配慮してほしいことと、逆に出来ることをメモに書いて、上司と面談をしました。

具体的には、

・12時間おきの自己注射が必要なので、通勤時間を考えると10時間以上は職場にいられないこと

(私は血液凝固因子に起因する不育症の疑いが高かったので、ヘパリン注射をしていました)

・自己注射の時間帯に職場にいないといけない事情が発生した場合は、注射場所、薬剤の保管場所(冷蔵庫)の確保が必要であること

・今から1ヶ月後くらいの時期に流産発覚の可能性があり、その場合、急に数日休むことがありうること

(流産手術の流れは病院によりますが、私の経験では、一番長く時間をかける病院で、処置の前日に薬剤投与→当日処置→翌日診察、この間入浴不可という感じで3日間かける所もありました。)

・これらのことは職場の人間にはあまり言いたくないこと

・仕事は仕事でがんばりたいこと


を伝えました。


その結果、上司は

・安定期までの間は残業せず帰ること、帰れるようなるべく仕事量を調整すること

・さらに上の上司にも伝えておくので、私からも一応報告しておくこと

といった配慮をしてくれました。

(本当にこの点はホワイトな職場&素晴らしい上司だったと思います。)


何より、妊娠報告について、開口一番、笑顔で「おめでとう!!」と言ってくれたことが嬉しかったです(正直、妊娠した本人は、嬉しさ100%になれないところなのですが。)


②(信頼できる)同僚に報告

仕事量がセーブされることになったので、一番しわ寄せが行くであろう同僚にも報告しました。


同僚は男性だし、これまで不育症やら流産なんて話は当然したことがなかったので、その辺りの説明から始めました。

この同僚も今思えば本当にナイスガイ(死語)で、妊娠おめでと!仕事は無理しないで!みたいな感じでした。


そして、この同僚には、出産までの間、本当に本当にしわ寄せがいったので、(それにもかかわらず快く引き受けてくれた)感謝してもしきれません。


③流産を見越した仕事のスケジューリング

今思えばどうかと思いますが、流産しても掛かる迷惑が必要最小限になるよう、スケジュールを組み、事情を知ってる同僚と共有していました。


④仕事をしながらの治療

自己注射の時間は、朝7時半と夜7時半と決めていました。

ただ、①で残業しないと書いたものの、実際のところは、残業せざるを得ない日もありました。

そのような日は、注射器・消毒用ガーゼ・薬剤セットを保冷バッグに入れて持参し、職場の冷蔵庫にそれらを保管し、夜の職場の誰もいない鍵付きの部屋で自己注射をしました。


個人的には、上司と込み入ったところまで、仕事の配慮に関する話が出来たのが良かったです。

その結果、気兼ねなく、自己注射が間に合う時間に帰ることができました。

また、2回目の妊娠の時は、流産の不安をもんもんと抱えた状態で仕事をしていましたが、4回目の報告時、上司に「おめでとう!!」と言われたことで、妊娠について喜んでもいいんだというプラスの気持ちが生まれました。


妊活・不育症治療と仕事の両立は本当に辛くて大変です。

でも、乗り越えることもできたよという一例を紹介したくて、つらつらと書きました。

子どもは尊く可愛い

出産して、(まだまだ新米ママですが)子育てをした感想。


こんなに尊い存在が世の中にあるのかと感動しています。


不育症の治療は大変でした…

今回の妊娠も、いつも流産するのではと不安でいっぱいでした…

妊娠中の体調不良や仕事との両立も大変でした…

出産も本当大変でした…


それでも、その分、こんな素晴らしい存在に出会えるなら、ここまでやってきて良かったと思えます。


ただ、必ず子どもと出会えるわけではないのが妊活。

私は運が良かったのかも知れません。


今、思うのは、とにかく早めの検査、治療がベターということ。

(いつも今が今後の人生の中で一番若い)

仕事が忙しいとか、病院が遠いとか、お金がかかるとかを言い訳にせず、前のめりな感じで病院への通院をして良かったです。


ただ、通院には時間もお金もかかるので(自治体によっては助成制度もありますね。個人的には、もっと助成の対象が広まるといいなぁと思います。)、妊活にどこまで労力をかけるかは難しい問題ですし、夫婦で良く話し合う必要があるとは思います。


一生子どもに恵まれないのではと思っていた1年前。

これから子育ては大変だと思いますが、この命を大事に、大切に育てていきたいです。